箱庭文学

圧倒的駄文! 何気ない日常のこと、お仕事のこと、思い出話、与太話、妄想・空想など。

「好きになったこと」を後悔させない人は、本当に素敵だ

RH

GW中、会社の同期の奈央ちゃんとデートした。


奈央ちゃんとは大学が同じだった。

同じ京都の大学に行っていたけど、学部は違ったので、学生の頃には一度も会ったことがなかった。

でも「出身大学が同じ」や「4年間京都で過ごしてた」という、こういうなんてことない共通点が、意外にも私たちを引き寄せてくれた。

何気ない共通点なのだけど、お互いがお互いのことを意識するには十分だった。

 

この日、ふたりそろって大好きなカフェに行って、とことん飽きるまで喋り合った。

私はかなり喋る方だけど、奈央ちゃんもかなりのお喋り。

この日、奈央ちゃんは自身の恋愛観を語ってくれた。付き合ってる彼氏さんのことも話してくれた。恋愛について喋ってる奈央ちゃんはなんかすごくかわいくて、いいなと思った。



奈央ちゃんと話すのはおもしろい。

その「おもしろい」には、字面どおりただ単純に「面白い」という意味と「興味深い」という意味の2つが混じる。

話し終えたそばから話した内容を忘れてただただ「楽しかった」という感覚だけが残るバカ話も素敵だけど、一方で話し終えたあと心の中に余韻と考える余白をくれるお喋りも素敵。

奈央ちゃんとの会話にはその2つがあるから、私はとても好きだ。



奈央ちゃんと別れて、家に帰って、淹れたコーヒーを飲みながらぼーっとテレビを観ていると、昼間にしてた奈央ちゃんとの会話が心に立ち戻ってきた。それは私が好きな「余韻」と「余白」。

いろんな人といろんな人が巡り会う中に「恋」がある。さまざまな形の恋があってしかるべきだけど、じゃあより好ましい形態とは何なんだろう、どんな関係性なんだろう、と考える。

不幸な人と不幸な人が巡り会って「幸せ」になるのではなく、不幸な人と幸せな人が巡り会って「幸せ」になるのでもなく、幸せな人と幸せな人が巡り会って「超絶幸せ」になることが、清らかで理想的な恋愛なのかもしれないな、とふと思った。

幸せな人同士の恋愛において、そこには依存がない。自分の不幸せを幸せにまで持っていくために相手を利用するというエゴが介入しない。

相手に何かを期待し求めるのではなく、自分のことぐらいちゃんと自分で幸せにしてから、相手と付き合う。

「恋は盲目」という言葉があるけど、奈央ちゃんは自分を見失ったり、周りを等閑になんかしていない。むしろ、周囲における自分の立ち位置というのをしっかりと見定め、自らの手で幸せを手繰り寄せたうえで彼氏さんと付き合っている。

奈央ちゃんの人生は、彼氏さんの有無にかかわらず、すでに奈央ちゃんのみによって完成されている。奈央ちゃんの人生は、奈央ちゃんそれ自身で、もうすでに美しいのだ。


私もそうでありたいと思うけど、実際的にはなかなか難しい。

私のできないことを悠々とやってのけてる奈央ちゃんが、やはりとても大好きだ。


LoveでもLikeでも、生きていれば人は誰かを好きにならずにはいられない。

奈央ちゃんみたく、「好きになったこと」を後悔させない人は、本当に素敵だ。

この日のデートで、また奈央ちゃんのことを好きになれた♡



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