箱庭文学

圧倒的駄文! 何気ない日常のこと、お仕事のこと、思い出話、与太話、妄想・空想など。

「誰かの決めた何か」になるより、いつだって私は「私が決めた何か」でありたい、と願うのです

夕空

私は、人は生を享けたその瞬間に「自由に未来を作れる機会」が与えられる、と考えている。

そして、それこそが人生の本質だと勝手に思っている節がある。

だから、「誰かの決めた何か」になるより、いつだって私は「私が決めた何か」でありたい、と願うのです。

 



せっかく自由に未来を設計できるのだから、できれば楽しくハッピーなものにしたいと思うのだけれど、世の中にはそうは思わない、思えない人もまたいることを、これまで生きてきた中で知った。

私とそう年の変わらない人が「過剰な労働」を理由に命を絶った、というニュースに心は痛んだ。



私は一度立ち止まって考える。

「あなた」が言う「忙しい」は、本当に正しい「忙しい」なのだろうか。

もしも「忙しさ」のせいで、せっかく好きで就いた仕事や巡りあえた大好きなことを嫌いになってしまうことがあるのなら、それはすごく悲しいことだと思う。

嫌いになるだけならまだしも、それで死を選んでしまう人もいる。人生を台無しにしてしまう人がいる。

それはあまりにも…本当にあまりにも遣る瀬無い。



「自らの生 」を明日へとつなげるためにあるのが仕事。

だとすれば、「自らの生」を断ち切らせ終わらせてしまうような仕事なんて、もはや仕事でもなんでもない。

私の価値観に則せば、そんな仕事に1mmの価値も存在しえない。

「仕事」と呼ぶことさえ嘆かわしい。そんなもの、躊躇う時間さえなく辞めてしまえばいい。


逃げていいし、逃げるべきだ、と思う。

まるっとぜんぶ投げ出しちゃえばいい。

逃げて、逃げて、逃げて、逃げて、それでまた始めればいい。


そして新たに始めるときには、「なんとかする」と思ってほしい。

「なんとかなる」じゃなくて「なんとかする」。

「なんとかなる」という半ば傍観者のような立ち位置で人生を俯瞰するよりも、「なんとかする」という主体性を投げ捨てない生き方を選んでほしい。

なぜなら、仮にどれだけ逃げたところで、「あなた」は何者にもなれず、「あなた」でしかないからだ。「あなたの人生」は、やはりどうしたって「あなたの人生」でしかない。

自分を取り巻く状況がなんとかなる人というのは、たぶん「なんとかしよう」と努力した人なんだと私は思う。

「なんとかする」「なんとかしたい」と思いながらなんとかしてると、気づいたときには大抵のことはなんとかなっているから存外大丈夫。

人生は軽々なものではないけど、そこまで深刻なものでもない。だから大丈夫。



「未来」というのは、私たちが思うよりもずっとずっと不確実だ。

1年後に世の中がどうなっているかなんて、実のところ誰にもわからない。

スマホというあんな小さなデジタルデバイスが、こんなにも世の中を変えるって、いったい誰が想像できただろう。


未来がわからない、ということ。

それは至極当たり前のことでありながら、もっともありふれた希望ではないか。

色も、形さえも定まっていない未来なら、自らの手でなんとでも変えていける気しかしない。

今日の絶望が、明日には「ちょい絶望」くらいになっているかもしれない。

それを知るために、「あなた」は逃げてでも明日を生きるべきだ。

もし逃げることを「恥」だとか「無責任」だとか思うなら、生き延びた先の未来で、その恥を苦労話として自慢げに語ればいいし、その負えなかった責任を背負い直せばいい。

生きてさえいれば、変わっていくものなんていくらでもあるし、変えられることだっていくらでもある。


だから「死ぬ」とか「死にたい」とか、そういう物騒な言葉や考えは、もうなしにしよう。

B'zの『ねがい』でも口ずさみながら、まだ何も決まっていない見知らぬ明日をともにいこうよ。

どこでも行ける きっと行ける

赤から黄色 白から黒へ

願いよかなえ いつの日か

そうなるように生きてゆけ

僕は僕に 君は君に

拝みたおして 笑えりゃいい




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