箱庭文学

圧倒的駄文! 何気ない日常のこと、お仕事のこと、思い出話、与太話、妄想・空想など。

ウォーリーを探さないで!絶対に探さないで!

ウォーリーをさがせ

単語やら助詞やら形容詞やら、もちろん主語も述語も、とにかくそういうもんらを取っ替え引っ替えすることによって、私らは「自分の伝えたいこと」を自分以外の第三者に伝達し、理解や妥協を得とるわけであって、それによって人間関係、ひいては社会の均衡やら平穏さというもんは担保されとる。


それは、言葉の偉大さやら尊さと等価なわけやけど、じゃあ「言葉の力」というものに個人差が生まれへんのかというと、そこはちゃうねんな。

言葉ゆうんは、「それが誰によって発せられたか」、すなわち話者の置かれとる立場や状況によって、持つ意味や重要性を変えるわけや。

消防士の人が「火事や!」って言った時と、オオカミ少年が「火事や!」って言った時、どっちも同じ言葉やけど、その持つ意味が転変するんは、話者に内在するコンポーネントの違いに拠るもんやねんな。



例えばな、ウォーリーっておるやん?

ほら、日本の小学生がこぞって探し出すことに躍起になる、あの小学生の通過儀礼的な、自分の力だけで見つけれたら一人前的な、赤と白のボーダーデザインでおなじみの、図書館で借りたら十中八九丸印で囲まれとる、あのウォーリーさん!

例えばそのウォーリーさんと一緒にシェアハウスして、平々凡々暮らしてるとするやん? ほらなんや、今風に言えば、テラスハウス的なやつ。

毎日赤と白のボーダーシャツしか着いひんあんなやつと絶対恋なんか落ちるかいって思っとったのに、クリスマスに赤白のボーダーのサンタコスプレで近所の子らとめっちゃ楽しく遊んどるのを見てから、心がなんか揺れ動き出して、あれ、気がついたらうち、あの赤白のこと意識してるやん…的な、ね?

「何が『ね?』やねん」、て感じやけど(笑)、まあとにかくウォーリーさんと一緒に暮らしてるとするわな。

で、ある朝、朝ごはんができたけんて、「ウォーリー、ご飯できたで~。今朝はあんたが好きな洋食にしたったで!」って声かけても、ウォーリー部屋から出てけえへん。

もう、ウォーリー、仕事に遅れてまうがなとか思って、部屋まで起こしに行ったんやけど、おらへんねん。

なんか部屋は、物が少なくなって妙に片付いとるし、ベッドの上には、きれいに畳まれた赤白の服がちょこんと置かれとる。

ふと机の上を見ると、そこには、「ゆきさん、今までありがとう。もう僕のことは探さないで。部屋の中の物は好きに処分してください。ゆきさんとの暮らし、本当に楽しかった。この日々は僕の財産です。ゆきさん、くれぐれも体に気をつけて。さようなら」って書かれたメモがあってん。

やけに広く感じる部屋に朝陽が鋭く射し込んできて、うちはなんかもうたまらんようになって、泣いてもうた。




ウォーリーさんの「もう僕のことは探さないで」って言葉、めっちゃ心にグサッと刺さるやろ?

探し出されることを目的とされとるウォーリーさんやから、その言葉は重く深なるわけやねんな、間違いなく(笑)。

やっぱ言葉は、その話者の置かれとる立場やら状況によって変わる、ってことや(笑)。



ウォーリーありがと。

おちこんだりもしたけれど、私はげんきです。



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